グッバイ ボーイ

卒業シーズン。

さよならしてきたものが、たくさんある。カラーボトルは「情熱の歌」か「10年20年」が一般的には定番なんだろうけど、若い日の竹森さんの歌い上げのすごい2006年の「グッバイ ボーイ」に今ハマっている。

 

最近のわたしはというと、解離がひどくなって、朦朧とすることさえ出てきた。笑えないことが起きてしまった。仕事じゃない全くのただの私生活で。ちょっと不安を覚えた。朦朧具合が特殊すぎる。

 

LINEは相変わらず、基本的に仕事のものしか開けない。仕事は見落とせないから、所属してる仕事のLINEは固定にした。他は未読が200を超える。

 

不安が強い。死にたいと1日に何度もよぎる。別に何かするわけじゃない。お腹すいた、眠い、と同じように頭に浮かぶだけだ。

 

危険だよ、って自分でもわかってる。2ヶ月くらい寝ていたい。持病の悪化と、鬱の進行と、PTSDの顕在化。解離がこんなに出る日が来るとは思ってなかった。というか、解離するまでPTSDの深刻さを考えていなかった。トラウマの事象からいつのまにか17年目に突入しようとしてる。

 

生活に支障が出る。かわいくなりたい、でも、男の人にかわいいと言われたくない。

いろんな表情が見たい、なんて、そんなこと思われたくないから恋愛できないと思った。

 

 

2024.3/16 下書き原文ママ

スノースマイル

2024.2/5

 

東京はすごい量の雪が降った。雪の降る地域で雪おろしと呼ぶらしい(?)雷も鳴った。温暖な気候の海沿いの田舎町で育ったわたしは雪に縁がなく、上京してからの雪に毎回圧倒されている。

 

雪にまつわる名曲って、やっぱりBUMP OF CHICKENかなーって『スノースマイル』を。

わたしが大好きなAqua Timezもいつだか、バンプの話をしていたのもあって余計に好き。

ポケットにお招きするところより、個人的には「足跡の平行線」から息継ぎの間のほぼない次の歌詞へのリズムが大好き。

藤くんの女の子をちゃんと見ている感じがやさしくて、きいてて和む。

 

そして話は日常に戻る。冬に対して直感が冴えていたのか、今シーズンは雪に備えて靴を買っていた。アウトドアブランドのウォータープルーフかつ雪や凍結に対応したスニーカー。今っぽいソールに厚さがある、かわいいヤツ。

 

寒くなると血行不良で心身に不調が出るらしいんだけど、この1年ほどの積み重ねで心が限界を迎えていたのか、大雪の中帰ってからお風呂に入りながら泣いてしまった。

苦しくて、かなしくて、声が響くお風呂場だというのに涙が止まらなかった。

 

大学生の頃、3年ほど形式上付き合ったひとがいたが最後の方で心が防御体制に入ったのか涙が出なくなっていた。かなしいも苦しいもあるけど、涙にはならない。

 

ひとりでいるときに、こわいものを利用した荒療治の時だけ怯え泣くのはずっとあった。他は心が本気で動くことをやめていた。

泣きむしが泣かなくなったことで、負荷はそのまま抱えることになった。昔はちょっとしたことで泣いていたのに。涙でコルチゾールを排出することで、感知する痛みを減らしていたのが体内に滞留することになっていった。

 

それからたぶん、解放された。

 

また好きなひとの歌で泣けるかな。泣くために行っていた年越しのライブが懐かしい。音楽でしか泣けないわたしはまだ弱い。

 

跳躍

2024.02/02

 

10代の時から好きなシンガーソングライターが、民放の生放送に初出演した。わたしがかつて好きだったバンドの元ドラマーと一緒に。

 

たしか、きっかけは『跳躍』をきいて。当時わたしは、ストファイという深夜の音楽番組をよく見ていた。高校の途中から不登校になったわたしは病気から昼夜逆転し、深夜のテレビ・ラジオから最新のものをキャッチするのが趣味だった。

 

なぜ日食なつこはキャッチできて、小林太郎はキャッチできなかったんだろう。調べて謎が深まったけど、タイミングでしかないんだろうな。

ストファイHジェネ祭りの予選から決勝の様子を何週にもわたって見ながら、決勝の日食なつこにすごく惹かれたことだけは覚えてる。

前髪だけを上げたthe優等生な顔つきと、芯の強い歌声がわたしにはすごく惹かれるものだった。たぶん才能が羨ましかったのもありそう。10代なんて劣等感のかたまりだし。

 

で、だ。最初に記した生放送は今の時代のおかげでテレビのないわたしも無事見ることができた。見逃し配信システム助かる。

 

ヤーレンズの出井さんが紹介者。M-1グランプリ2023のPVで日食なつこの『ログマロープ』が使われた旨を説明して、来るか来ないかの流れからご本人登場。

 

日食なつこは一時期までピアノ弾き語りのみだった。『水流のロック』でドラマーkomaki氏を招き、新しい側面を魅せた。話題にもなった。

 

このふたりの組み合わせはいつもわくわくするから大好きなんだけど、とにかくkomakiさんが職人すぎる。華麗だし無駄がない。そして絶対的に軸がブレない。

 

朝から2曲のステージング。『ログマロープ』から『開拓者』の流れで、komakiさんがログマロープの演奏中、画面の左下にクレジットが出てたのがわたし的にツボだった。嬉しかった。

スタジオで手拍子する人たちをカメラが抜いた時、紹介した出井さん以上に楢原さんが口ずさんでいたのは、わたしをさらに幸せにした。

 

派手に目立つ何かに焦がれることがわたし自身が少ないからか、世の中と違うポイントで一喜一憂することがある。そして、こういう幸せはいつでも存在してほしい。

 

追うもののみが知れる幸せがある。

温度

2024.1/28

 

1月に気温が下がってから、まあまあの不調続き。unicycle dioの『温度』はその温度と言葉は同じだけど、示す意味は違う。

 

わたしは彼の使う言葉を理解しながらも、似た体験はおそらくしていない。マジョリティの顔をしてマイノリティを進むしかないのは、なんて寂しい道なのだろう。

 

久しぶりに大きめの発作を起こした。最初こそ調子悪いな、程度のものだったのだけど昼間重苦しく、気圧を確認すると妥当な状況。

夜バンドマンのお兄さんから事前にお誘いをもらってたライブがあったけど、動かれんと判断して昼間のうちにキャンセル連絡。

 

寝て対処するも頭痛が悪化して服薬。薬は効かずさらに背中のこわばり、吐き気とみるみる危険ライン。発作自体はだいたい30分も耐えれば消えることが多いが、昨日は逃せなかったのか3時間ほどの戦い。

強張りの延長か、首の正面の筋肉が発作後にじわじわ痛かった。

今までいくら調べても似た症例に出会えず、迷走神経と推測しかできていない。

 

心筋梗塞くも膜下出血など、不穏な検索もしてみるが何も当てはまらず。

 

心がたまに折れそうになる、いつまで続くかわからない原因不明の4文字。神経症的なものなのか、ストレスなのか肉体に問題があるのか。

 

器質的なものって、なかなかどうにもならないことあるんだよなあってため息だけ。

春が来てしまう

2024.1/24

 

この前、年が明けたばっかりなのにもう1月も終わりに近づいている。冬のセールが終われば、閑散期から春物シーズン。

 

今日は、The Floorの『春が来てしまう』の気分。

友達と雪の話をしたり、仕事で暖冬対策の話が上がったり、冬から春を意識する。春の商材の生産もどんどん進む。

 

まだ12月に知ったばかりのこの音楽との出会いは、素直に言えばまあなんとも奇妙な巡り合わせ。調べると安心感の種しかないから、出会うべくしてなんだろうな。結局わたしはサブカルチャーの中で踊る選択をしてしまう。

 

時々、現在に自分が追いつけているのか不安になることがある。でもまあ、なんとかなっているのだから、成すべきこと以外は肩の力を抜く意識をする他ない。

 

社内で面談があった。決算が終われば次期がはじまるから。区切りを大切にする文化がある会社に今いる。

 

やりたいこと、なりたい姿、現在考えていることを形式張らずに会話の中から拾ってくれる。一問一答にはならない関係を構築する才能は、トップの姿を見ていたら皆身につくものなのか。はたまた、その才能があるもののみが残っていくのか。

 

仕事が楽しい。体が追いつかない。心と脳と体がバラバラで、たまに朦朧としながら作業を進める。上司も部下もいないわたしには、ある種の気楽さがある業務で、会社というチームの中では拘束の少ないポジションにいさせてもらう。

 

会社だけじゃない、どこにいてもそうなりたい。ふわっと軽く所属する術を身につけたのは、きっと中学時代から。いつ消えたっていい、代わりはいると思いながらも大事にしてくれる人を大事にするように身を振ることだけを忘れたくない。

夢の続き

2024.1/21

 

タイトルは好きな曲名から借りていくスタイルに。

 

こっちのブログはこれがスタートだけど、なんかふと続きを始まりにしたくなった。

 

タイトルの曲名はHakubiの『夢の続き』から。

 

 

わたしの夢はちゃんとひとつずつ、諦めて生きてきてしまったから、いろんな諦めた夢の続きが現在。

 

 

 

映画『笑いのカイブツ』を観てきた。

ツチヤタカユキの私小説を、岡山天音さん主演で映画化。2017年に単行本が出版されていたらしい。気づいていなかった。

 

わたしの思春期を支えたコンテンツのひとつ、ラジオ。たまに文章を褒めてもらうことがあるけど、きっとそれは頻繁に聞いていた深夜ラジオのおかげだと思ってる。

そこで頻繁に名前を聞いたハガキ職人。いまはもうハガキで出してる職人はいないのかもしれないけど、令和の今、平成のあの時期のラジオのネタ職人なのだからギリギリかもしれないけど、あえてここではハガキ職人とする。

 

まだ学生リスナーが多かったのか、スポンサーが某辞書をも出版している会社だったそのラジオ番組。狂ったようにネタメールを分刻みで深夜に送りつけていたというのが、『笑いのカイブツ』原作者ツチヤタカユキ。

毎週辞書が届く彼は家が大変なことになりそうなんて、わたしは呑気なことを思いながらラジオを聴いていたのを今も思い出せる。彼はそれだけ印象的な職人だった。

 

少なくともわたしはツチヤの純粋な狂気に気づいていなかった。楽しんでやってると思っていたし、まさか取り憑かれていた、いやタイトルを借りれば「笑いのカイブツ」の一種へ呑み込まれてそのものになっていたなんて、そんな。

 

観ていてなにかつらかった。でも目が離せなかった。彼の軌跡の一部はずっと結果だけ知っていたから。

何者かになることに焦がれる以上、それしかできず、それしか考えられず、それのために生きて、それのために摩耗する。

あまりに凄絶で、純粋で、綺麗なのに憧れはしない。苦しみからはどこへ行っても逃れられない。

苦しめてくるものが、何より欲しいそれな気がして。正義の顔をして近づいてくる、別の何か。業界の是、個人の是、受け手の是、作り手の是。

 

生々しく、おどろおどろしい。如何にもカイブツで。

 

愛したものに愛されたって幸せとは限らなくて、枯渇したそれは潤わないことだって多々あって。

 

一度死んだ彼は無敵になれたのだろうか。

掴みかけた理想の影を自分から突き放す勇気。

 

 

心から好きなものを、好きという言葉を使わず最大値に表現できる彼がすこし羨ましくなった。